平成20年2月16日
 韓国ソウルの南大門が全焼した事件には驚いた。もう何十回と訪韓している僕にとっても思いで深い場所だけに、個人的にもショックを受けている。1988年12月、初めて韓国を訪れた際に南大門の近くで知らない韓国人から道を尋ねられて困ったことがあった。その頃はまったく韓国語を話せなかった。今もって何故話しかけられたのかは分からないけれど、たぶん僕のDNAがどこかでつながっているのだろう。今から思うと、このときの体験がその後に韓国語を勉強する遠因になっているのかも知れない。その思い出の南大門が焼失したのである。それもテレビカメラにその焼け落ちる全容をさらけ出していたのだから…。韓国の宝が無残な姿になってしまったのだ。それも放火によって。その後の犯人の言にも驚いた。「人に危害が生じたわけじゃないし、建造物だからまた再建できるじゃないか。」と述べたらしい。開いた口がふさがらないとはこのことだろう。気がふれての犯行ならあきらめもつくが、愉快犯の仕業であることが許せない。
 僕が生まれる二年前に金閣寺炎上事件が起きている。燃え落ちる南大門の映像を見ながらそのことを思っていた。当時の金閣寺炎上についての国内の雰囲気がどういうものであったのかは、生まれていない僕は当然知らないが、おそらく国民の多くが傷つき落胆したに違いない。しかしこの時の放火犯と今回の放火犯とではその犯行に至るまでの背景や感情の動きに大きな違いがあるのではないかと感じる。金閣寺に放火した林 承賢の複雑な感情を解き明かそうと三島由紀夫や水上勉が呻吟したのである。はたして三島の「金閣寺」や水上勉の「金閣寺炎上」が真相を解き明かしたのかは分からないけれども、少なくとも生い立ちから犯行に至るまでの心の軌跡や家族の苦悩を僕らに突きつけてくれる。これから韓国において今回の犯行の分析が進むと思うが、テレビで目にした犯人の発言を見る限り文学を生み出すものではないように思う。馬鹿なオヤジの愚行で600年の歴史を持つ国宝が消え去ったのだ。虚しさにとらわれる。
平成20年2月1日
 中国製輸入餃子による中毒事件はひどい。被害が全国に広がっている。症状の重篤さから判断して、単なる残留農薬の問題ではないとの報道もある。製造工場において殺虫剤が混入したとも、誰かが故意に有機リン系農薬を入れたのではないかとも言われているようだ。いずれにしても大変な問題であり、徹底的に真相究明がされなくてはならない。
 この問題に限らず、以前から中国からの輸入食材に対する不安は言われてきたことだ。彼らの食に対する安全意識は我々とはまったく違うことを考えなくてはならない。我々が中国食材による健康被害にあわないようにするには、中毒に負けない強靭な肉体を作るか、中国食材を口にしないことしかない。毒野菜に負けない胃袋は容易に作れない以上、後者の対応しかあるまい。地産地消を心がけることだ。地元で取れた食材で暮らせばよいわけだ。
 そもそも毎日の食生活に冷凍食品が入りすぎていることが問題ではないのか。毎日新鮮な食材を調理して食べていれば食中毒や有機リン中毒などを心配する必要がないじゃないか。
 輸入餃子を食べることを止めて、親子で自家製餃子を作れば食べることに加えて家族関係にも新しい刺激が生まれるというものだ。今年の目標に料理を覚えることを掲げているのだが、この際だからこの計画を前倒ししてみたい。もっとも、包丁を握ったことはほとんどないのだから僕が餃子を作る日は果てしなく遠い。それでも親子で餃子を作る日を夢見て野菜を切ることから始めてみますかな。