平成17年7月27日
 6月の初旬からチャレンジしていた自動二輪(中型)の教習がやっと終了した。教習所に通う時間を作るのに苦労したけれどなんとか卒業できたのだ。昨日の卒業検定もアップアップの状態だったけれど検定を通ればそれで一段落である。後は運転免許センターで手続きをすればその日から自動二輪車の免許取得者ということになる。せっかくだからなるべく早く手続きを済ませたいものだ。
 もちろん、長距離のツーリングや一部の若者のような暴走行為をしたくて免許にチャレンジしたのではない。合併で大きな市域を有する都市となったことから、早朝に一人で市内のあちこちを見て回りたいと考えたことがきっかけである。もちろん技術的にはまだまだ未熟なのだから無理をせずにという条件付だ。
 そうは申せ本当の思いはもうひとつ別にあるのだ。50歳の年に、これからは今まで縁がなくて挑戦してこなかった色々なことにチャレンジしていこうと小さな決意をしたのだが、その一環として今年は自動二輪免許を目標としていたのである。一昨年にはじめた登山は、回数こそ少ないものの、今も楽しんでいるし、昨年から取り組んでいるイタリア語の勉強も上達はしていないもののなんとか継続できている。「50代の挑戦」の第三弾が今回の自動二輪免許だという次第である。年寄りの冷や水と笑う人もいるかもしれないが、やがて充実した老後を過ごすためにも50代の今をどう生きるのかということは大きなポイントだと思う。ほとんど利回りのない預貯金に資金をまわすよりも現在の自分自身に投資したほうが有利ではないのかとも思う。しばらくはライダー気分で低速ドライブを楽しむこととするが、その後にはまた僕の新しい挑戦が待っているのだ。
 
平成17年7月13日
 久しぶりに寝覚めの悪い夢を見た。タバコを吸ってしまい、大変なことをしてしまったと慌てている夢である。僕がタバコをやめてから18年ほどになる。最初の頃はときどき先のような夢を見たものだ。禁煙して10年以上たってもごく稀に見たという記憶もある。しかしここ数年はそんなことがなかっただけに驚きである。断っておくが、決してタバコを吸いたいわけじゃない。吸いたい気持ちがあるのにそれを抑えているわけではないのである。タバコに関しては何にも感じていないのである。であるにも拘らず、何故今になって夢を見るのか。人間の奥底にある、体内記憶とでも言うべきものの不思議さを思わされる。タバコを吸い始めたのは幼少期ではないけれど、ある種の原体験となっているのだろう。無意識の領域にある強迫観念だと言うこともできそうだ。こんな夢を見ているうちはタバコの残滓が体内に残っているということかもしれない。あな恐ろしや。恐ろしや。
 さすれば既に中毒状態といってもよい酒の方はどういう影響をわが精神に及ぼしているのであろうか。いつの日か禁酒の定めを破った夢にうなされないためにも、戯れにも禁酒を考えるのはやめようと僕は固く心に誓うのだ。 
 
平成17年7月4日
 昨夜は仕事で市内に滞在しているというイタリア人男性2名と一緒に寿司店にいった。もちろん通訳の人も一緒にである。それでも酔った勢いで少しばかりイタリア語で話すことができた。昨年から一週間に一度だけ個人レッスンを受けてきたのだが、忙しいこともあってここ数ヶ月はサボリ気味だったのだ。不熱心なレッスンでは身につくはずもなく、文字通りのカタコトの会話となってしまった。それでも日本語が話せないイタリア人と話したのは今回が初めてだったので楽しい時間となった。
 酔っぱらって「市長室に遊びに来ない?」と誘っていたところ、今日の昼食時間に訪ねてきてくれて嬉しかった。おかげで彼らが帰ってから落ち着かない。もっとイタリア語を上達したいという思いにとらわれているのだ。思っているだけで上達するはずもはなく、思いをかなえるためには勉強するしかないと小さく決意しなおしている。早朝のNOVAお茶の間留学も復活しよう。
 何につけても、こうやって世間に向かって宣言しないと始められないところが僕の弱点であるが、意志薄弱男を机に向かわせるにはしかたがないのだ。
 52歳の夏、気分は既にヴェネチアに!