平成28年7月19日
 今回のロンドン行の中での面白エピソードを一つ。
 次女はロンドンに行く前から何かで調べたお菓子をお土産用に買いたいと計画していた。そしてその写真をスマホに取り込んでいたのだ。いわく、「これは普通に食べられているお菓子なので、デパートとかお土産店ではなく普通のお店で買わなきゃならないのだ。」と。
そこでホテルの前に待機していたタクシーの運転手にその旨を告げスマホを見せると、彼は映像を見るなり「こんなのはいつもならおれの車の中にもあるよ」と言って笑い転げた。日本で言えば、カッパエビセンかハッピーターンみたいに当たり前のものらしい。彼は僕らを乗せてすぐに動き出した。何となく下町風のエリアに入るとあるコーナーに車を止め「しばらく待っていてくれ。この店にあるか聞いてくるから」と降りて行った。残念ながらその店に無いと分かると車を移動し、スーパー様の店に向かってくれた。そこには類似のものがあったが目当てのものそのものではなかったことから娘は納得せず、表情から察した彼はまたもや動き出した。
 今度は2軒の店が向かい合っている場所に停めてくれたのだが、「日曜日なので12時にならないと店が開かない、あと30分ほどだからこのコーヒー店でコーヒーでも飲んでいればどうだ」と提案してくれた。あまりの親切ぶりに感激した僕はお礼を言ってチップをはずんで別れを言った。しばらくすると彼が戻ってきて、「ここにもなかったら困るので俺は車の掃除でもして待っている。料金のチャージはしないから安心していろ」と告げてくれた。やがて12時を待って店をチェックしたが残念ながら目当てのものを見つけることができなかった。いつもの僕なら、類似のもので良いじゃないかと言うとこだが、娘とドライバーの熱心さに負けて付き合うこととなった。彼はまた違う場所に移動し、「ここにはきっとあると思う。駐車違反になるので買い物が終わったら店の前に立っていろ、自分が移動しながら見つけるから」と言って降ろしてくれた。
 その店で店員にスマホを見せると、ニコッと笑いながら「これはおいしいよね」と言って一緒に探してくれた。そして僕らはついに目当てのものを見つけることができたのであった。この話の面白いのはここからである。買い物袋を持って外に出ると彼が携帯で話しながら歩道を歩いていた。肩をたたいて「やっと見つけることができた」と告げると、「友達に電話してほかの店をさがしていた」と応え、僕に電話を渡して「見つけたことを教えてやってくれ、俺はいい仕事をしたと言ってくれ」と言う。僕は電話先の知らない親切イギリス人にお礼を言い、何よりもここまでするかというほどの彼のホスピタリティーに何度も何度もお礼を言った。僕ら親子は有り難い、有り難いカッパエビセンに感動の極みであった。嬉しそうにうなずいた彼は「これでホテルに帰っていいか」と訊ね、久しぶりにメーターをチャージにした。ホテルに着いた僕は思いっきりチップをはずんだ、と思う。
 ここまで親切なタクシードライバーが日本にいるとは思えない。タクシーの仕事は走ってなんぼという世界なのになぁ。恐るべしロンドン、恐るべし紳士の国、恐るべしジョンブル精神。本当にありがとう。かなわないなあと思わされました。こんな人にも私はなりたい。



平成28年7月18日
 先ほど3泊5日のロンドン旅行から帰国。今回、初めての次女との二人旅。じっくりと話し合う時間はあまりなかったけれどお互いに気遣いしながらの良い旅だったと思う。二人だけの旅を記憶に深く留めておきたいと思う。僕のわがまま旅に付き合ってくれて嬉しかった。ありがとう。
 
 さて、今回の旅の目的は何といっても一つ。エジンバラのクイーンズ・ギャラリーで開催されている「DUTCH ARTISTS IN THE AGE OF VERMEER」を鑑賞することであった。

 最初から僕のためのわがまま旅なので、日程はこのギャラリー観賞を最優先に組むこととした。したがって、16日の土曜日にロンドンからエジンバラに行き、゜エジンバラでは気のすむまでギャラリーを鑑賞する予定とした。エジンバラには初めて行ったが中世のヨーロッパの街並みや風情をそのままに残す、素晴らしい世界文化遺産都市であった。このことについてはいつかゆっくり語りたいと思う。
 
 この展覧会がなぜ僕にとっての最重要目的だったのか。それは展覧会のタイトルの最後のフレーズのVERMEERにある。つまりあのフェルメールのことなのだ。僕は2006年5月にウィーンの美術史美術館でフェルメールの「絵画芸術」という作品を見る機会があった。光と陰影の主張とストーリー性を暗示する作風に惹かれてしまった。そしてその年に朽木ゆり子さんの「フェルメール 全点踏破の旅」という本に出会った。そこから僕のフェルメールの旅が始まることとなった。その旅についての詳細は機会を見つけて改めて述べるとして、今日のところは簡単に概要だけを説明しておきたい。
 フェルメールの作品は真贋説がいろいろあるものを含めて世界中に37点存在する。その中の「合奏」という作品は盗難の末に行方が分かっていない。したがって残りの36点は、努力を重ねかつ運にも恵まれれば何とか全作品を観賞することか可能だということになり、朽木さんはそのフェルメール全作品を見るというムーブメントに火をつけた人なのだ。僕もそのムーブメントに惹かれてしまい、機会を見つけてはヨーロッパやアメリカのあちこちの都市に存在するフェルメールの作品を追いかける旅を始めてしまったのである。そして苦節10年。ついに今回のエジンバラの旅で最後の作品である「音楽の稽古」を観賞することができた。凄い!やったぞお! その夜は、一人で祝杯をあげた。誰も共感してくれる人のいないホテルのバーで、小さく「やったぞー!」と吠え、大満足感に浸りながら、10年間のあれこれを思いつつ、泥酔の海に落ちて行ったのであった。
 さきほど帰宅して、旅装を解き荷物の片付けを終え、改めて祝杯をあげながらこの駄文を綴っているという次第。あまりの満足感の大きさに今日も泥酔の淵に落ちそうな予感を感じつつ…。もう一度、大きく「やったぞう!!」と叫ぶこととしよう。やったぞ!やったぞ!やったぞ!やったぞ!………。
平成28年7月7日
 今日は次女の誕生日である。今朝、本人に「誕生日だね」と言ったら、「そうだよ。27歳だよ。」と応えてくれた。「誕生日なのにオトトが出張でいないのが寂しい。」とも言った。可哀そうだけど今日、明日と東京出張なのだ…。1歳の誕生日から今日の27回目まで、はたして何回の誕生日を一緒に過ごしてやったのだろうか。そう思えばこちらも寂しくなるが、仕様がない。せめて明日の夕食は一緒に取ることとしよう。
 この子は場合によっては7月6日生まれになっていたかもしれない。6日の夕食を食べてから妻が産気づき、長女と3人で近くにあった産院に向かった。「ひょっとすると12時前に生まれるかもしれない。」と先生が伝えてくれた時に、思わず「12時過ぎてから生まれると誕生日が七夕の日になるので、何とかなりませんか?」と頼んだのだった。結果的に深夜、12時2分に元気に生まれてきた。妻からは随分つらかったと恨み言を言われたけれど、おかげで次女の誕生日は死ぬまで7月7日の七夕なのである。7日の早朝、長女と産院に行くと小さな赤ちゃんが保育器の中で泣いていた。初めて嬰児を見た長女の驚いた様子が思い出される。
 そしてその1か月後に妻が発病した。あの日から27年が過ぎたのだ。今日は家族の27年の歴史に思いする日にしたいと思う。明日は必ず3人で夕食を取ることにしよう。頌子、誕生日おめでとう。
平成28年7月4日
 一昨日の土曜日は大変に暑い日であった。その暑い日に座敷の襖障子や雪見障子を簀戸に入れ替える作業をした。予想通り汗みどろとなってしまい、途中で中断して夕方に再開してやっと完了という次第。それでもまあ、10畳間を2部屋、簀戸に衣替えするとさすがに爽やかな感じになり、何よりも一仕事を終えたという達成感に満たされて充実した気分になることができた。面倒でもこういう作業は大切な風物詩だと思わされる。季節感が良いね。ほんとは6月中にするべきなんだろうけど…。
 午前中の作業時に父親が様子を見に来て、順番を間違えると入りにくいとか、秋にもう一度入れ替えることを考えて収納しなきゃダメだとか、いろいろとアドバイスをしてくれた。そして、チョット足を痛めたので手伝えないと言った。どうしたのだと訊ねたところ、驚く返事が返ってきた。梨の生産者の研修会に参加して犬山市までバスで行ってきて、何と、犬山城に上ってきたと言うではないか。数年前に天空の城、竹田城跡に登り、去年は姫路城に行った父ではあるが、犬山城に上るとはね。あの城は小高い山の上に立っているのだからなあ。
 曰く、「姫路城に比べりゃ小さいから大したことないと思っとったけど、いやあ、きつかった。お蔭で足を痛めてしまい困っている。失敗したなあ」とのこと。92歳の城好き老人には本当に驚かされる。いくらなんでもいい加減にしてほしいものだ。先ほど会ったが、足が痛いらしく、「失敗した。失敗した。」と反省していた。ゆっくり休んで恢復して欲しいものだ。ほんとは専門医に診てもらった方が良いのかもしれないなあ。明日の朝に提案してみようか。