平成23年9月28日
 まもなく9月が終わる。四十九日まではなるべく静かにしていようと思いながら日を過ごしてきたものの、9月中に一度も書き込みをしないとなると後日にダイアリーを遡ってみたときに空白の1ケ月ができるのもどうかと思ったり、そうは言ってもと否定してみたり、と逡巡してばかり。どうせ大したモノは書けないんだから…。9月のページだけでも残しておこうか。

 この1ケ月強の期間、あまり落ち込まずに毎日を過ごして来れた。知らずに気持ちの持ち方をコントロールできているようだ。いちばん持って行きたいところではなく、何となく安全地帯に意識を持っていっていると言ったらいいのだろうか。見たくないものを見ないようにしていると言えなくもないけれど…。それもある種の知恵だとしておこうか。
 子供たちもきっと同じような意識操作をしているように思う。ある意味では助けられている。そうは言っても、ここに来て訳もなくイラつくこともある。正直に言えば、子供の対応に不快なこともある。きっと同じ思いを僕に対して感じているに違いない。それでもそんな気持ちをぶつけ合わないようにしながら今日も過ぎていく。これもまたある種の知恵としておこう。子供たちといることで平静でいられるのだろうから。一人でいたとしたら…。

 書き出したついでに。ついで?。まあ、ついでみたいな話だから良しとしよう。

 先に就任したばかりの平岡法相が地元の岩国基地への空母艦載機移転に反対だと公言していた問題は[王手飛車取り」みたいな形になっていて面白い。本人は地元選出でもあり、岩国への米軍機の厚木からの移転に以前から反対していたのであろう。しかしこのことは政権交代後においても「着実に実施」することが日米合意として確認済み。しかるに法相就任後に反対だと表明すれば明らかに閣内不一致ということになる。批判が出た後になって「政治家個人の思いを発言した」のであり「閣議で決まったことには従う」と言ってみても如何なものか。「政治家個人の思い」はそんなに軽いものなのか。信念をもって反対だと今まで発言してきたのならそれを通すのが政治家じゃないのか。閣僚になったから表向きは政府方針に従うというのではあまりに情けないじゃないか。信念を通すのなら法相の就任要請に対して固辞すべきじゃなかったのか。
 閣僚の一員になって考えてみたら従前の自説は間違っていたというのならまだ理解できるし、誤りを改めるに憚ることなかれということもあるから、法相を続けたいのなら岩国移転を容認したらいいんじゃない。まあ、死刑廃止論者でありながら法相を続けていた人が何人もいたくらいだからこれくらい何でもないか。法の番人たる法相が自らの法律上の職責である死刑執行の命令書を出さないのなら、もとより就任すべきではなかろうに。