平成28年10月23日
 昨日は日帰りで、それも大慌てで軽井沢まで車を使って往復した。軽井沢の駅前近くにある小さな美術館に行ってきたのだ。軽井沢ニューアートミュージアムという美術館である。2012年4月にオープンした新しい美術館。総ガラス張りの白を基調としたオシャレな建物に魅了された。あらためて今の時代は現代アートなのだなと思わされた。目当ての企画展は「シュルレアリズムとその展開」というもの。シュルレアリズムは難解でなかなかなじめないのだけれども、マックス・エルンストの作品を観賞したくなり足を運んだ次第。エルンストの不思議な世界にはやっぱり何故か引きつけられる。アートの不思議な力を思わずにいられない。僕らの心の深層に潜む怪しげな感性が刺激されるということなのだろう。何故か魅かれる、ということ。アートの力だ。
 さて、企画展に組まれているもう一人が上原木呂(うえはらきろ)という画家である。中世の魔術絵画のようなオドロオドロとした雰囲気と童話性を混合させ、そこにエロチシズムと仮面芸術を重ねたような不思議な作品群であった。まさにシュールな世界である。瀧口修造と出会い影響を受けたとの解説に驚いてしまった。なぜならこの上原という画家は1948年生まれなのである。僕と4歳しか違わないのに瀧口修造と出会う機会をどうして持てたのだろうか。この作家に比して、瀧口修造が地元呉羽大塚の出身だというのに何一つ知識のないわが身が恥ずかしくなる。何れにしても上原木呂という画家の作風に圧倒されて帰ってきた。エルンストと上原という二人の画家のライブラリー本を購入してきたので一杯やりながら楽しむこととしたい。
 (KARUIZAWA NEW ART MUSEUMを略してKaNAMというロゴを使っているところが面白いと思った。TOYAMA GLASS ART MUSEAMもToGAMと略してみたらどう?)



平成28年10月15日
 今日は浜松でシンポジュームがあった後、神戸市に移動。明日は近畿富山県人会の総会に出席予定。そんな事情で今夜は三ノ宮駅の近くの小さなホテルに宿泊。随行の職員と2人で夕食に出かけて韓国料理屋に入った。お店の人や隣の席にいた韓国人の人たちと韓国語でしゃべって楽しい時間を持てた。韓国語を随分と忘れてしまっていて情けない次第。富山では話す機会がないのだからしようが無いけどね。
 ホテルに帰る途中で、僕としては珍しく、小腹がすいた感じがしてファーストフード店のようなしつらえのうどん屋さんに入った。トレイを持って順番に食材を入れていく仕組みも知らず、いきなりレジのところにいたスタッフに「冷やしおろしうどん」と注文してしまった。きっと嫌がられたに違いない。酔っぱらいのすきっ腹にはちょうど良い加減の味だったとおもう。おいしかった。
 その際のテーブルの隣の席にやせて小さな学生と思しき少女がひとりで食事をしていた。暖かそうなうどんに卵と海藻がトッピングされているドンブリと野沢菜のようなものが取り込まれいるおにぎりを食べていた。僕は失礼にならないようにと気を使いながら、彼女の表情に意識を傾けていた。僕の娘たちも彼女のように一人でうどんをすすりながら寂しい夕食を摂っていた日があったのかなぁ、と思わされたからである。別にさっきの彼女が不幸そうに見えたわけじゃない…。でも、何となく寂しそうに感じたのだ。娘たちにもそんな日があったに違いない。僕の青春時代にもそんな日があった。もう遠い昔の記憶だけれど、寂しくて泣いていた夜があった。この歳にもなるとそんな時にどう過ごすかという知恵は充分に分かっている。でも、今夜見かけた彼女が寂しい夜を迎えているのだとしたら、あるいは僕の娘たちが同じように独り暮らしの時代に寂しさに襲われていた時があったとしたら…、そんなふうに考えると年老いた僕は不憫さを感じてかすかに涙ぐむのである。
 一人で酒を飲むとそんなナルシズムのような感傷がちょうど良い肴になっているということなのだろう。これも老いの一つということか。さっき出会った彼女はうどんとおにぎりを食べることにそれ以上の意味を感じていないであろうことは分かっているのだけれども…。そんなことになんで感傷的な思いが湧いてくるのかが分からない。もう現役じゃないことのきざしなのかもしれないなあ。そろそろ終いの準備にかかりますかな。
平成28年10月14日
 「住友銀行秘史」(講談社)という本が面白い。1990年から1991年にかけて日本中を騒がせたあのイトマン事件の全貌を、当時住友銀行の取締役であった國重惇史という著者が四半世紀を経た今年になって克明に書き記したルポである。バブルの末期に巨大企業である住友銀行や中堅商社のイトマンが壊れていく様をつぶさに記している。最高学府の教育を受け、銀行マンとしてのきらびやかなキャリアを重ねたメガ・バンクのトップや幹部たちが自己保身に走り、問題に蓋をして、対応を先延ばしにしていく様子がこれでもかというくらいに実名で語られている。天下の住友が腐っていく事態を知ることで組織のあり方やトップの姿勢について大いに考えさせられた。お薦めです。
平成28年10月10日
 以前からの計画どおり今日は立山に行ってきた。何とか都合をつけて薬師と立山に少なくとも年に一度は行きたいと思っている。ほんとは夏の登山シーズンに行きたいのだけれども、なかなか都合がつかず今年の立山は今日になってしまった。幸い素晴らしい天気に恵まれ何年ぶりかの満点眺望登山となった。途中の一の越しでは遥か遠くに富士山を眺めることもできた。そして同行者のご配慮により、随分と久しぶりにみくりが池温泉に入ることができた。正確なことは分からないが、おそらく20年ぶりくらいになると思う。白濁した独特のお湯にゆっくりと浸かりながら日頃の憂さやモヤモヤを晴らすことができた。お陰様であった。何故か紅葉が遅れているなと感じたものの、室道周辺にあふれている多くの観光客や雄山に向かうと思われる登山者を見て嬉しく思った。こんな素晴らしい天気の日に立山の魅力に存分に触れてもらったのだなあと思うと、僕が何かをしてあげたわけじゃないけれども嬉しさに包まれたのだった。天候は自然の配慮なのだけれども、良い機会に山の素晴らしさを共有できたことで意味もなく仲間意識が芽生えてくるのだった。そのせいか多くの登山者と声を掛け合うことができた。とりわけ下山する際に出会った外国人の登山者には「今日はラッキーなことに富士山が見えるよ」と声をかけて足を急がせていた。余計なお世話ではあるけれど、みんなの目が輝いてくる様子を見て楽しんでいたのだ。やっぱり山はいいなあと思わされる一日であった。明日の筋肉痛が心配ではあるけれど…。
平成28年10月2日
 2009年作のフランス映画に「CONCERT」という作品がある。内容を書きだすと長くなるので割愛するが、オーケストラをモチーフにした笑って泣いてという秀作だ。そしてクライマックスで美人ソリストと管弦楽団員が演奏するのがチャイコフスキーのバイオリン協奏曲なのである。この曲は僕の大好きな名曲なので涙を流しながら拍手喝采していた。良い映画だと思う。お薦めです。興味のある人は是非に…。
 僕はかつて、ほとんど毎日のようにこのチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を聴いていた時期があった。昭和51年の夏から昭和52年の春にかけてのことである。僕はこの時期、学ぶでもなく働くでもなく中途半端で自堕落な日々を過ごしていた。将来に向けての目標を見つけることができす、ただただ無為に生きていたのだった。学生生活の終わりに、長く付き合っていた女性との関係が壊れ、それまで抱いていた女性観や恋愛観が音を立てて崩れていく経験をした。その結果、東京を離れ富山に帰り、不甲斐なくも悄然と無意味な酒びたり生活を続けていた。そんな時代に僕は、ほとんど毎日チャイコフスキーのバイオリン協奏曲を聴き続けていた。午前8時頃から午後5時頃まで農作業を手伝いながら、空いた時間や雨の日などにむさぼるように読書をした。自分の人生の中で最も充実した読書体験の時代であったと思う。そして周囲を気にすることもなく自由に音楽を愛で、気に入った文章を口に出して音読する空間を持つことができた。まったく生活力のない甘ったれの青春時代ではあったが、ある意味では恵まれてもいた。
 この歳になって思い返してみると、そんな良い時間を持てたのは僥倖であった。そんなチャイコフスキーのバイオリン協奏曲である。そんなことは有りうべくも無いけれど、主旋律を追うだけならすぐにもタクトを振れるくらいに全曲が僕の頭に、耳に、身体全体にしみこんでいるのだ。今もCDを流しながらこの稿を書いている。思い出の曲はたくさんある。それでもクラッシックの一曲をとなったならこの曲しかない。そういう意味では良い映画に出会ったと思う。これから先、何度も見ることになると思うこのDVDを大切にしたい。僕のDVDコレクションにまた新しい秀作が加わった。秋の夜長は秀作映画とワインの時間。いい季節だな。