平成18年10月25日
 高岡南高校において必修科目である世界史の授業を選択科目としていたという今回の騒動には驚いた。どう取り繕ってみても、大学受験に世界史を選択しない生徒に対して世界史の授業に充てられるべき授業時間を受験に必要な他の科目の履修に振り替えていたということだ。多くのマスコミが言うように、公立高校を予備校化するとは何たることかと僕も言いたい。あきれるほどに程度の悪い教師連中である。だいたいにおいて、やってることが中途半端でよくない。どうせ予備校化するのなら体育も音楽も部活もやめて徹底的に受験対策授業に特化したらどうだ。人間形成も情感教育も徳育もどうせあんたらには関係ないんでしょ。高岡南高校の教師たるもの校長以下全員、優秀(とされる)有名大学の合格率の上昇のために努力することをもってその使命とするものと認識せよ!というふうにした方が良かったのに。
 そもそも、世界史をなんと心得ているのであろうか。世界史を学ばずに受験のための勉強ばかりして、受験以後の人生をどう生きていくというのか。メディチ家を知らずにイタリア旅行をし、ハプスブルク家を学ばずにウィーンに行き、ムガール帝国をが分からずにタージ・マハールに足を運ぶというのか。モヘンジョダロもカンネーの戦いも大スキピオもバラ戦争もナポレオンもマリー・アントワネットもメッテルニッヒもグラント将軍もラスプーチンも江青も(僕の例示はあまりに滅茶苦茶で何の関連もないのではあるが)、何もかも知らずに生きていくのか。アレクサンダーもローマ史も十字軍もチムール帝国も蒙古の版図も南北戦争も大長征も赤狩りも学ばずに済まそうというのか。何よりも近代、近世の東アジア史を学ばずに帝国主義という時代をどう捉えるというのか。たとえば光化門や盧溝橋やノモンハンを知らずに先の戦争を理解することができるのか。キューバ危機やベトナム戦争や冷戦時代やソ連崩壊とその後のバルカン半島の混乱を知らない若者が現実的な議論としてわが国の安全論議ができるというのか。とんでもないことだと僕は思う。
 高校時代の僕は世界史と日本史が大好きであった。物理や化学の授業はよくサボったが、歴史の授業はしっかり受講したものだ。そのときに吸収したものをベースにしてこそその後の読書が深まったのであり、現在の思考や世界観が形成されてきたのである。ひょっとしたら高岡南の教師たちは世界史を軽んずるだけではなく、人はなぜに学ばなければならないのかということさえも理解できていないのかも知れない。もしそうなら、直ちに辞職して受験テクニックだけを教える職に転職してほしいものだ。
平成18年10月23日
 ちょっとしたきっかけで夏目漱石をたて続けに読んだ。小旅行の慰みにと思い、中学・高校の頃に読んで以来の漱石を読み返してみたら面白くなってしまい、「それから」、「門」、「こころ」と三部作をいっきに読みきった。男女関係の機微をモチーフとしながら人間として誠実に生きることの難しさを描いた名作を若い頃にどのように読み解いていたのかは全く記憶にないけれど、この歳になって読んでみると当時の人間の真面目さに心を打たれる。今の時代とは違い、決していたずらに恋をしたり戯れに不倫に走ってはいないのである。変な言い方だが、真面目にかつ命がけで不倫に走っているのだ。思えば今の時代にそこまでの恋心を見つけることができるのであろうか。不毛な恋ばかりが世に満ちているのではないのか。一時の享楽にだけ踊っているのではなかろうか。
 関係ないけれど、突然、若い頃にある人から「節度ある交際を望みます。」という言葉を聞かされたことを思い出した。命がけの恋が無理ならば、せめて節度ある不倫を夢見てみようかな。幾つになっても夢見ることなら許されるだろうし、それでこそ何とか老け込まずにいられるだろうから。